成功の秘訣は習慣づけ!

 

習慣づけの正しい方法

「何かを始めようと思ってもなかなか手につかない」

「せっかく始めたのに続かない」

 

思い立った当初は、「よっしゃ!、やるぞ!」と膨らんだ気持ちがひゅるひゅると穴の開いた風船のようにしぼんでしまい、しょぼくれたことのある人も多いのではないでしょうか。

あるいは、あの人はエネルギッシュで何でもできるのに、「どうして自分は動けないんだろう」

なんて考えてしまうこともあるかもしれません。

でも、実はできる人と、できない人の間に能力の差なんてほとんどないのです。

こんなことを言うと、でも実際に差があるじゃないかと思ってしまうでしょう。

先ほど能力の差はほとんどないと言いました。ほとんどというのがミソで、確かにさはゼロではありません。ただし、そのさはほんのわずか。

では、その差とは何でしょうか。

それは、習慣付けができているかどうか

これに尽きます。

そして、習慣付けに必要な事は2つしかないと言われています。

それは、

1、自分はできると言うマインド

2、適切なやり方

 

できる人は1も2も持っています。

まぁまぁの人は、どちらか片方を持っていて、

あまりできない人は両方持っていない。

まずは、これだけをしっかりと脳みそにグリグリ刻んでおけば、絶対に大丈夫。

何か、障害があるとか特殊な事情がなければほとんどの人は自分の望む何かを達成できると断言します

 

適切なやり方について

 

例えば、

「ランニングを始めよう」

「英会話を始めたい」

「絶対ダイエットを成功させる」

「なるべく起こらないような人になりたい」

なんて目標持った時、どんなふうに始めたら良いのでしょうか。

人によっては、「とにかくがむしゃらにやるとか」まずは「形だよね」と言ってアイテムを物色したりとか、まさに千差万別。人によりいろいろな入り方があると思います。

でもこのやり方というのが曲者で、ここを間違えてしまうと誰であってもうまくいかない。とにかく根気だと言って、目をつぶって走り出すのが、典型的なダメなパターン。イチローでも、ホリエモンでも間違いなく失敗します。

ではそのやり方とは

いろいろありますが、まず多くの人が間違いやすい3つの点に絞って紹介してみたいと思います。

そんじゃ張り切っていってみよう

 

1、ベビーステップ

最初はとにかく小さく始めるのがコツそして、必ず毎日続けることが肝。

01

毎日本を10分だけ読む毎日1行だけ読む毎日本の表紙だけを5秒眺める

2

毎日10分だけ走る毎日10分散歩する毎日ジャージだけ着てみる

毎日続けられないと言う事は、負荷が大きすぎると言うことです。これでもかと言う位しょぼいゴールを設定しましょう。1日でもサボってしまったら、さらに負荷を下げる。

周りの人がびっくりする位、負荷を下げましょう。下げて下げて、最終的には1日10秒妄想すると言うレベルまで下げてokです。

 

2、15秒ルール、ワンアクションルール

何か習慣を身に付けたいときは、それをするのにハードルとなる時間や手間アクションを極力少なくしましょう。

 

(例1)

本を読むのに本棚から出す机の上に出しておくようページを開いておく

(例2)

前の日の夜にランニングウェアやシューズを準備しておくウェアを着て寝る

 

反対に何か辞めたい習慣から抜けたいと言う時は一手間かけることでその辞めたい悪習慣へのハードルが上がり抜けやすくなるそうです

スマホを辞めたい→ひたすら我慢→必ず電源を落とす→引き出しに片付ける

そういえば東大生の多くは勉強中はすまほーを切るか別の部屋に置いておくとかしてるそうですね。

 

3、歯磨き理論

適切な方法をとりつつ、習慣付けには必ず時間が必要です。ある研究に

よれば、大体8週間できた事はその後もくもなく習慣として続けられるようです。

 

ここでぜひ思い起こしてほしいことがあります。

それは歯磨きです。

もう覚えてない人も多いかもしれませんが、小さい子供の頃、毎日の歯磨きはきっと面倒だったり、嫌だったりしたのではないでしょうか。でも、いつの間にかそれが当たり前になり、いつの間にか歯磨きしないと気持ち悪いほどに習慣付けられていったのです。

ダイエットでもランニングでも英会話でも、習慣付けられていないことを始めるのは大変です。そして、今季だけに頼ってスタートしたほとんどの人が挫折します。さらには、挫折体験が、自分はダメだと言う学習効果を生み、成長のデフレスパイラルに落ち込んでしまいます。

一方、上で紹介した適切な方法を踏んでゆっくり始めることで、ほとんどの人は2ヶ月程度で習慣付けられ、歯磨きしないと気持ち悪いレベルまで達することができるといえます。どうでしょうか。なんだかやれそうだと思えてきませんか

いやこれでも無理だと思う人は別のやり方を考えるとして、少しでもできそうかもと思えたなら、だまされたと思って、今日から早速取り入れてみてはいかがでしょうか。

新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか②

前回、新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか②では、中国の武漢ではじまった新型コロナウイルスの感染拡大について、何がどのように危険なのかについて考えてみました。そして、ウイルス感染の爆発的拡大は人類の存続にも関わる大きな問題であること、今回の新型コロナ危機も決して楽観はできないこと、収束には数年かかり、アフリカ大陸での拡大が大きな意味を持つこと、などを確認しました。

今回はそのような状況の中、実際に私たちの社会がどのように変化し、また、私たちにどのようなことが求められるのかを考えてみます。今回は、筆者自身の考え、予想が含まれており、いくらか主観的な部分もありますので、それを踏まえて見て頂けたらと思います。

新しい働き方が、新型コロナ対策の副作用として促進される!

現在、日本をはじめ世界各国が様々な感染の封じ込め対策に本腰を入れ始めています。ニューヨークやパリなどの主要都市で外出制限令が出され、多くの国が「緊急事態宣言」による経済活動の制限を検討しています。もう、ぎりぎりの状況です。

リモートワークが普及し、在宅やフリーランスの仕事が増える

このような中で、リモートワークが促進され、これに関する技術が発展することは間違いないでしょう。実際に韓国では子供たちが在宅で授業を受けることになっています。

ZOOMやSkypeなどによる遠隔コミュニケーションがどんどんと進むことでしょう。これに伴い、在宅勤務も広がるはずです。

これらの遠隔コミュニケーションの技術は、私たちの生活や働き方にも大きな影響をもたらすでしょう。それは、ちょうど電話やメールというイノベーションが離れた人との会話を可能にしたことに似ています。これらの技術が空間や時間を超え、コミュニケーションの大変革をもたらしました。

ZOOMやSkypeといった遠隔コミュニケーションの技術は、これよりもさらに大きな可能性をもっていると言われています。今後、どのように社会が変わっていくのか、私たちの予想をはるかに超えた世の中が誕生することも間違いないでしょう。

気になる経済の見通しは?

新型コロナの影響で経済は大きく滞るでしょう。一時はパニックによりトイレットペーパーが店頭から消えました。パニックの鎮静化に伴い、トイレットペーパーの不足は収まりましたが、マスクや消毒液、衛生用品などはいまだに満足に手に入りません。国や地域によって外出や移動が制限されています。そういった制限がないまでも、感染を恐れる人々は必要以上に出歩くことを避けるようになりました。ホテルやツアーなどの売り上げは激減し、観光業をはじめ、衣料品など多くの業種が大打撃を受けています。

日本では、政府がこれらの補償を検討しています。大打撃を受けた観光業などに対して、1兆円程度の支出を検討していることが報道されています。

このような補償が必要なことは間違いないでしょう。ただ、この財源についてはどうなるのでしょうか。あらゆる業種が大きな影響を受ける中、税収の減少は不可避です。賃金も下がり、失業も増え、消費マインドはかつてないほどに冷え込んでいます。

私見ですが、現状でもリーマンショックどころではない、未曽有の大損失であり、もし、これ以上に状況が悪化すれば、先の第2次世界大戦にひっ迫するような損害も否定はできないと考えられます。

残念ながら、経済についての見通しはこれ以上にない暗さと言えるでしょう。

ワクチンや治療薬の開発はいつ?

新しい感染症の恐ろしさは、必要な治療がないことが最大の要因です。新型コロナウイルスについても例外ではありません。

現在、医学や製薬業界が様々にあらゆる角度からの対策を全力で行っています。インフルエンザ薬のアビガンが新型コロナウイルスに対して奏功した報告もあります。ただ、このような薬の開発は効果や安全性の確認のために多くの治験が必要で、実際に使われるには1年程度かかる見通しだそうです。

中国の倫理観が製薬を牽引?

このことについて、面白い話を耳にしました。

実は、一部関係者の間で、中国が今回の件に限り治療薬の開発をリードする可能性が語られています。

中国は、医学や科学の分野において、よく言えば意欲的、悪く言えば成功のために手段を選ばない、という風に見られているようです。

例えば、アメリカや日本、ヨーロッパの先進国では、医学や製薬の研究において、非常に厳しい倫理規定があり、(ほぼ)全ての研究者はこの倫理規定に従って研究を行っています。これにより、私たちは安心して、研究の成果を受け取ることができるわけです。

これに対して中国は、研究成果を急ぐあまり倫理規定を軽んじる傾向があるというのです。勝つためには多少のルールを無視するという感じです。

しかし、今回のような危機的な状況下では、まさにこのことが早い成果につながる面も否定できません。

先進国がルールに則って、フェアプレーで試合に臨むのに対し、中国は「勝てば官軍」とばかり、反則ぎりぎり、あるいは明らかに反則な手も打ってきます。これが、奏功すれば、もしかすると、現在予想されているより早く、治療薬やワクチンが完成するかもしれません。

非常時にはルールに従っている場合ではない、といったところでしょうか。

判断の難しい、微妙な問題です。

 

今後の見通し

今後、世界は感染の爆発的な広がりにより甚大な損害を受け、それに伴い社会は大転換を迫られるでしょう。

歴史的をみても、感染の大流行が大きな転換を生み出してきたことがわかります。

ペストの大流行により、多くの人々が亡くなり、農業に従事させられていた奴隷が激減しました。これにより農奴制が崩壊し、ヨーロッパの中世が終わります。

コロンブスは梅毒をアメリカに持ち込み、現地住民に莫大な被害をもたらしました。大航海時代にスペイン人が中南米を侵略した話は有名です。この時、スペイン人が現地人を征服できた大きな要因が天然痘でした。これによりメキシコのアステカ文明とペルーのインカ文明が崩壊します。実は武力ではインカ文明やアステカ文明が勝っていましたが、天然痘により滅ぼされてしまったのです。

ちなみに、現地の住民は天然痘による災厄を神の仕業と考え、これにより多くキリスト教への改宗が進んだとのことです。中南米の国々にあるキリスト教への根強い信仰の源は、実はこの辺りから来ています。

少し話が横道にそれてしまいましたが、これまでの歴史の中で、危険な病原菌の流行が多くの歴史の転換を生んだことを見てきました。転換期には外部からの不可抗力が莫大な作用をもたらすのです。

そのように考えると、今回のコロナ危機は私たちに、意識や行動の変化を突き付けてきているとも言えるでしょう。

危機は人々の意識を変え、行動を変え、果ては世の中を大きく変えていきます。

このような中で、従来の考え方や行動にこだわることは百害あって一利なし。ただ、私自身もよくありますが、新しいことに対しては、どうしても尻込みしてしまいます。避けて通りたいと思ってしまうのも事実。人間は生存本能により、新しいものを恐れ、今までのものに安心するようにできてしまっています。長い歴史の中で脳に刻み込まれてしまっているのです。

しかし、今回のコロナ危機は、もう、待ったなしです。

もし、このまま、今が感染拡大のピークでこれから収束に向かう、というのであれば、大した問題ではありません。ですが、「新型コロナウィルスの危機とは何か、我々は何をすべきか、人類はどこに向かうのか」でも書いた通り、この危機が簡単に収束することは、万が一にもないでしょう。

この危機がもたらす新しい世界にどのように適応していくか、私たち一人ひとりが真剣に考え、取り組まなければならないと思います。

新型コロナの何が危機か、我々はどこへ向かい、何をすべきか①

新型コロナウィルスの危機について、テレビ、新聞、webなどあらゆるメディアで連日報道されています。これほど大量のニュースが出回るのは2011年の東日本大震災以来かも知れません。大震災時は、日本中が沈痛のさなかでバラエティやCMも自粛され、当分は流されませんでした。

今回の新型コロナ危機は、報道自粛については大震災時ほどではありません。ですが、私自身は、この新型コロナ危機は大震災をはるかに凌駕する危機、かつての大戦に匹敵するか、もしかするとそれを超える危機だと思っています。人類の存亡にも関わる危機だとさえ危惧しています。

それでは、新型コロナ危機とは、実際にどのような程度なのでしょうか?今後どのように展開するのか?収束は?私たちがすべきことは何なのか?

今回は、このようなことを考えてみたいと思います。

 

この記事の基本スタンス

この記事を書いているのは、2020年4月1日です。まさかのエイプリルフール。本来なら少し遊びを入れたいところですが、ウソやデマは一切ナシです。この記事については、私見ではあるものの、信ぴょう性のある明確な根拠のみを採用し、論理的に、科学的に考えを進めることを、まず宣言しておきます。

「生物兵器説」や「感染100年周期説」などおもしろおかしい陰謀論や都市伝説などを聞くことも多いですが、このようなものについてはあまり触れません。都市伝説などを100%否定するわけではありませんが、その根拠は薄く、特に顧慮する必要はないかと思っています。そのため、そういったおもしろおかしさを求める人には、この記事はあまり興味のないものかも知れません。

また、youtubeやブログ記事などでは、いたずらに危機をあおるようなものもアップされているようです。そのような動画や記事は、再生数や読者を稼ぐ意図があるのかどうかはわかりませんが、人々の関心を呼び起こしやすい面はあるようです。しかし、この記事はそのような意図は一切ないことも、ここで明確に宣言しておきます。

新型コロナ危機の現状 今世界はどのような状況か

まず、現在の状況を簡単にまとめておきます。出典はいちいちは記しませんが、大体、政府やWHO(世界保健機構)など公的機関の発表、TVニュース、全国紙の情報によったものです。

 

日本と世界の感染者数と死者数は

第一に日本の感染者は2928名、死者は77名で、

世界での感染者は80万人超、感染者数の最大はアメリカ16万人超、イタリア10万人超、スペイン9万人超となっています。

世界の死者数はイタリア11591人、アメリカ3170人、スペイン7716人、中国本土3305人

3月11日にWHOが「パンデミック宣言」を出して以来、急速に拡大しています。

当初中国で感染拡大が起こりましたが、現在ではヨーロッパやアメリカが主戦場となっているようです。

感染拡大に直面している各国は「緊急事態宣言」を出し、国として特別の体制を敷いていくようになりました。

3月29日には超有名タレントの志村けんさんが亡くなったと報道され、日本中が悲しみに包まれました。私自身もど真ん中のドリフ世代で、志村けんを見ながら大人になっていったようなところがあります。志村けんさんの訃報は残念でなりませんでした。また、多くの人がそうだったように、志村けんさんが亡くなったことにより、新型コロナの危険が感覚的に身近に感じられるようになった気がします。

 

新型コロナ危機の今後 これから世界はどうなるのか

 

ここまで新型コロナの現状についてザっと見てきました。

それにしても、この危機はどのように収束するのでしょうか。東京オリンピックの開催が延期され、来年、2021年7月24日に決まりました。それまでに、収束し、無事オリンピックは開催できるのでしょうか。

それでは、ここからは今後新型コロナ危機がどうなるのか、考えてみたいと思います。

今後の状況は急速に悪化する

いきなり身も蓋もないようなことを言いますが、この新型コロナ危機の収束はかなり厳しいと思います。この記事の最初でも書きましたが、私は決して、いたずらに危機をあおるつもりはありません。ただ、様々なことを踏まえると、どう考えても簡単に収まるとは思えません。

「じゃあ、実際どうなるんだ」と言われそうですが、収束まで悪ければ数年、良くても1~2年かかるでしょう。今年中に収まるということは、万が一にもないと言えます。

世界中で感染者は、難しい予想ですが、順当に対策がうまくいって数百万人から1000万人超、悪ければ数千万人から億を超える人々がり患するでしょう。

死者も数百万人以上、悪ければ1000万人超、あるいはそれをはるかに超える恐れもぬぐえないと思います。

どうでしょうか。これを見て、「そんなに多くなるものか!」と思う人もいるかもしれません。では、どうしてこのような予想となったのか説明します。

医療崩壊は避けられない

TVなどで、海外の医師や看護師などが医療現場の過酷さを涙ながらに訴える様子が報道されています。国によりますが、現在感染拡大に直面している北側の先進国の多くで医療崩壊や、それに近い状況が起きています。

現状ではイタリア、スペインの医療崩壊がもっとも顕著です。病院の病床は全く足りず、この寒空の中、廊下やロビーに簡易ベッドを設置したり、病院以外の大きなスペースの確保できる建物(会議場や、ホール)にとりあえず置かれたベッドに患者が寝かされています。それも軽症者ばかりではなくICU(集中治療室)に入るべき重篤な患者が、このような場所に収容されています。

さらに、人工呼吸器やマスク、手袋といった物資も圧倒的に足りず、有効な治療が行えないどころか、治療にあたる医療者が感染発病、医療者の近親者に感染拡大が広まるなど、大変厳しい状況です。

例えて言うなら、大きな山のあちこちで火災が発生し、消防士が出動するも、消防車もホースも足りない。そもそも水(治療薬)がない。あちこちで延焼が止まらず、ついには消防士も炎に巻き込まれてしまう。

そして、1万人を超える多くの人々が新型コロナによる肺炎で亡くなりました。亡くなった人々については葬儀もできず、埋葬も進んでいません。

こんな悲惨な状態が、ヨーロッパの大国の現状なのです。まさに言葉通りの医療崩壊と言えます。

イタリアに関して言えば、医療技術は高く、医師数も人口比当たり日本のおよそ3倍と、医療水準は世界の中でも決して低くない国だそうです。

どうしてこのような国で医療崩壊が起きているのでしょうか。

医療者の多くは、最大の原因を感染者の拡大が急速すぎる点に見ています。平素であれば十分な医療体制であっても、そのキャパシティーを超える患者が殺到すれば、どうしても対処できません。

現在、明らかな医療崩壊が見られているのはイタリア、スペインの2国ですが、フランス、ベルギーなど、多くのヨーロッパ諸国や、さらにはアメリカも崩壊寸前の状況にあるのです。

一方の日本はと言えば、後で詳しく見ますが、かなりマシな方だと言えます。

本当の危機はアフリカで!

ここまで述べたことは多く報道されているところですので、情報としては馴染みのあるものでしょう。ただ、真実は人目につかないところに潜むと言われます。報道されない部分に事態の本質や重大事が隠されていることも往々にして多いものです。

報道されていない様々な事実の中で、私自身が最も危惧し注目をしているのが、アフリカ大陸での感染拡大状況です。

 

3月18日、アメリカの主要シンクタンク「戦略国際研究センター」のアフリカ問題政策部長デバーモント博士は、アフリカ諸国が新型コロナウィルスの感染拡大に直面しているとの論文を発表し、警鐘を鳴らしています。

実際にアフリカ大陸では3月18日時点で、25か国での感染者が明らかになっています。

 

ちなみにアフリカ大陸における感染者数は、3月19日時点で約250人。

 

これ、大変恐怖を感じる数字です。

 

25か国で250人。1か国平均10人程度。このような数字があり得るでしょうか。

実数を把握できていないことは、火を見るより明らかでしょう。

事実、この点について、エジンバラ大学医学部のスリダル教授(公衆衛生学)は、アフリカ大陸での医療体制や状況把握についての不備を強く指摘しています。

少し話が難しくなってきたかもしれません。

ざっくり言うと、

アフリカ大陸では、正確な数字が全く把握できていない、ということです。さらには、アフリカ大陸では水や石鹸などが不足手洗いが習慣づいていない医療設備や技術水準の低さ衛生意識の低さなど、ウイルスにとって有利な条件がこれでもか!と数えあげることができます。

 

アフリカ大陸での感染の拡大は不可避であり、その規模は医療先進国であるアメリカやヨーロッパどころの騒ぎではないでしょう。

アフリカでの拡大が返ってくる?ウイルス変異の脅威

ここまで見ると、「アフリカは大変だなあ」と思われた人も多いでしょう。ただ、「まあ、アフリカは大変でも、アメリカやヨーロッパ、日本からは遠いし、医療もきちんとしているから大丈夫だろう」と思われる人もいるかもしれません。

ところが事態はそんなに易しくはありません。

ウイルスによる感染症の大きな脅威として「ウイルスの変異」が挙げられます。そして、この「ウイルスの変異」は感染拡大の中で非常に危険度が高くなります。

それもそのはず、「ウイルスの変異」は確率論なので、感染が少なければ変異も起こりづらいが、感染が多いと変異の確立も爆発的に大きくなるのです。

ちょうど、宝くじもたくさん買う程当たりやすいと言ったイメージです。

アフリカ大陸で感染が広まるのはほぼ確実で、これは変異という宝くじを大量に買っているのと同じ状況だと言えます。

さらに、宝くじには1等2等と当選金額が違いますが、ウイルス変異も人類にとっての危険度という意味で、様々幅広くあります。

変異によって起こりそうなのが、人間の免疫に対する耐性、抗生物質やワクチンに対する耐性、感染力の強化などです。

これらが起こると、1度かかって免疫を得た人にも再度感染する、効果的な新薬を開発しても効かなくなるなどが起こります。

現に、元々のコロナウイルスは種を超えては感染しませんでした。豚から人、人から鳥といった感染は起こらなかったのです。ところが、今では人からネコへの感染が報告されました。ついに、ウイルスが種を超えて感染する能力を獲得してしまったのです。

もし(というかほぼ確実ですが)アフリカで感染が爆発したら、アフリカで修業し鍛えられたウイルスが日本をはじめ、世界各国に帰ってきます。例えば1年後、「コロナウイルスがうまく収束して良かった」と言っている先進国に、思いもよらない強大な侵略者が襲いかかることになるのです。

人類の最大の敵はウイルス?

ちょっと、ショッキングな話、あるいは荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんが、人類はいつの日か必ず絶滅します。

これは人が必ず死ぬということと同じことです。

様々な分野の科学者たちにより絶滅のシナリオについても研究がされています。可能性として高いものとして、小惑星の衝突とウイルスや細菌が2大要因とされているようです。ちなみに核戦争については、あまり絶滅としては危険視されていません。核攻撃は、相手を絶滅させることはできても、攻撃側や、辺境に住む人は生き残る可能性が高いと見られているためです。

 

さて、それにしても人類を絶滅させる原因というのがたった2つしかなく、その1つに現在直面しているというのは、なんという災難でしょうか。奇跡的な悲劇とも言えますが、実はこれまでも人類は何度も病原体の厳しい攻撃にされされた歴史を持っています。

ペスト

別名、黒死病とも呼ばれています。感染すると40℃もの高熱が発生し、全身が黒く腫れあがり数日のうちに死亡すると言われています。過去何度か大規模な感染が人類を襲いました。中でも14世紀にアジアからヨーロッパに持ち込まれたペストにより、1億人を超える人々が亡くなったそうです。これにより、イングランドやイタリアでは人口の8割が死亡、多くの町や村が壊滅したとも言われています。

現在では医学の進歩により、ある程度の封じ込めに成功しています。

スペインかぜ

1918年、ヨーロッパ、アメリカで爆発的に拡大したインフルエンザウイルスによるパンデミックです。約5億人が感染し、少なくとも数千万人、一説には1億人を超える死者が出たとも言われています。

この、大流行の陰には一つの人為的なミスがありました。

当時は第一次世界大戦中で、ヨーロッパの交戦国は士気を維持するため感染の被害を隠したり少なく発表したりしていました。中立国であるスペインのみ正確に発表したため、人々はスペインだけで流行しているという誤った印象を受け、これにより「スペインかぜ」という呼ばれ方が定着しました。

しかし、正確な情報を隠蔽した国々では、有効な対策も取られず感染拡大の爆発をもたらしたと言われています。

現在のコロナ危機も、このような情報の隠蔽(とまでは言わないまでも、情報操作、方向付け)による印象操作は行われているかも知れません。

特に、中国では感染拡大が収まったような政府発表がありますが、多くの医師や研究者はこれに疑いを持っています。

正確な情報が出なければ、状況は悪化の一途をたどらざるを得ないでしょう。

 

②に続く

老夫婦とロバ

他人の目が気になり、思ったように行動できない、なんてことはありませんか?

本当はアンナことやコンナこともやってみたいけど、バカにされたらどうしよう…

そんなことをつい考えてしまい、やりたいことにかけたくもないブレーキをかけてしまっている人も多いのではないでしょうか?

何より私自身がそうでした!

ところが「ある話」を知ることで、他人の目を気にするバカバカしさに気づき、今では自分の考えに自信が持て、新しいことへのチャレンジも楽しく決断することができるようになったのです。

それこそアラビアに伝わる昔話「老夫婦とロバ」

今回は、このお話を紹介します。

老夫婦とロバはこんなお話

これから紹介する老夫婦とロバはアラビア地方に昔から伝わるお話です。どんなお話なのでしょうか。早速見てみましょう。

おはなし

 

昔、あるところにおじいさんとおばあさんが居ました。二人は夫婦で、子供はいませんでしたが、1頭のロバを飼っていました。あるとき、老夫婦がロバを連れて歩いていました。しばらく歩いていると、老夫婦を見たある人がこんなことを言いました。

「なんでロバを連れて歩いているんだい?元気のいいロバなんだから、乗っていけばいいじゃないか」

老夫婦は「なるほど」と思い、二人でロバに乗って再び進み始めました。しばらく行くと今度は別に人が出てきてこんなことを言い出しました。

「二人でロバに乗るなんてロバがかわいそうじゃないか。ひどい夫婦だな」

老夫婦は慌ててロバから降りて、どうしたものかと話し合いました。

おばあさんが言うには「私は歩いても大丈夫ですから、おじいさんロバに乗っていってくださいな」

おじいさんは「おお、そうか済まないのう。では、わしが乗ることにしよう」

おじいさんがロバに乗り、おばあさんは歩いて進み始めました。

しばらく進むと、さらに別の人が現れて、こんなことを言い始めました。

「なんだなんだ。おばあさんに歩かせて、男がロバに乗っていやがる。ひどいじいさんだな」

おじいさんは、顔を赤くしすぐにロバから降りて、おばあさんをロバの背に乗せました。

「ばあさんや、わしはゆっくり楽をさせてもらったから、今度はばあさんが乗ればええじゃ」

「そうですか。それじゃ、今度はわたしがロバに乗せてもらいましょうかね」

おばあさんがロバにのり、今度はおじいさんが歩くことになりました。

うん、はじめからこうすれば良かったかも知れません。そうして進んでいくと、またまた見知らぬ人が現れて、二人を指さしこんなことを言うのです。

「なんだあの年寄りたちは。男に歩かせるなんてひどいばあさんだ。それに女の言いなりになるなんて情けないじいさんだな」

老夫婦は、もうどうしていいか分からずに、途方に暮れてしまいました。

 

さんざんな言われようですね。なるほど、確かに人の言うことをいちいち聞いていては何もできませんね。

老夫婦とロバの話から何が学び取れるのか

このお話から、どんなことが学び取れるのか。私自身が感じたことを書きます。

全ての人を納得させることはできない

老夫婦に対して、4人の人が現れそれぞれ自分の思うところを(勝手に)言いたいことを言って去っていきました。なかには「ロバに乗った方が良い」「ロバに乗るなんてかわいそう」という真反対の意見もありました。

こんな勝手な意見を全部聞いていては、何もできませんね。

意見を言うだけで責任は取らない

老夫婦に対して意見を言った人たちは、4人が4人とも言いたいことを言うだけで、あとはサッサと去っていきました。

こんな人たちに、「あなたの言うとおりにやったのに、他の人に批判されたじゃないか!」と言ったところで、何の責任も取ってくれないでしょう。ひどいときには、さらに追い打ちで批判をしてくるかも知れません。

自分の言うことにアレコレ口出ししてくる人がいても、その人は決して責任を取ってくれることはない。責任は自分がとるしかないことを肝に銘じておきたいものです。

人の言うことを聞いて途方にくれるか、あるいは、自分で決めて前に進むのか

この老夫婦は、4人の人たちに勝手なことを言われ続け、最後は途方に暮れてしまいます。このあとは結局どうなたったのでしょうね。

実は、私たちは何か新しいことを始めようとしたときというのは、この老夫婦が「途方に暮れている」段階ととても良く似ている気がします。

私たちが何か新しいことを思いついたとき、自分自身の中に「よし、これで行こう!」という前向きな気持ちと、「これで本当に良いのだろうか」という恐れの気持ちが、きっとあることでしょう。

これが、まさに老夫婦が途方に暮れている状態ですね。

賛成や反対、賛成するにしても、その方法は人によってまちまちです。

山登りを例として考えてみると、早く頂上に着くことを考えるか、登る途中を楽しむのか。自分の足で一歩一歩歩いて登るのか、車で快適に上るのか、ロープウェイなどを利用し、観光を楽しむのか。もしかしたら、「山に登るのではなく、海の方がいいじゃん」という人も現れるかもしれません。

このようなことをいちいち気にしていたら、途方に暮れている老夫婦の場所から一歩も進めませんね。

結局大事なのは自分の意志

では、どうしたらいいのでしょうか。

結局、大事なのは自分の意志ということになりそうです。

だけど、自分の意志が明確ならそもそも悩んだり迷ったりしないでしょう。

このようなときに私が気を付けていることは、他人の意見はできるだけ、耳には入れておく。そして、自分の心の中に複数のキャラを作って話し合わせるということをするようにしています。

こうすることで、他人の意見に振り回されるのではなく、かといって独断に陥って失敗するのでもなく、様々なことを考えつつも、前に進むことができるようになるのです。

 

 

テセウスの船とは古代ギリシャのパラドックス

マンガやドラマで人気のテセウスの船。TVドラマは3月22日でいよいよ最終回を迎えます。真犯人は果たして誰なのか!?気になるところですが、ストーリーの結末はTV放送にお任せし、今回はこの「テセウスの船」という言葉について解説します。

「テセウスの船」とは、古代ギリシャ生まれの哲学の言葉

ところで、テセウスの船とは一体何でしょうか。「テセウスって人の名前だよね?あんまり聞かない響きだけど誰だろう?」と思った方。ピンポーン!いい線いってます。

それもそのはず、テセウスとはギリシャ神話に出てくる王子様の名前。半分が牛の怪物ミノタウロスを倒したとされる英雄です。

その英雄テセウスの乗っていた船が「テセウスの船」なのですが、この船がどうして現代の日本にまで伝えられているのでしょうか。まして、人気のドラマのタイトルにもなるなんて、何か秘密がありそうです。

それもそのはず、この「テセウスの船」は古代ギリシャの哲学者たちの間で、大問題となってしまったのです。そして、その問題は今も解決されていません。一体どんな難問なのでしょうか。

ここからは、このテセウスの船がどんな問題だったのか見てみましょう。

簡単そうで解けない!?哲学者たちを悩ませたパラドックス

怪物ミノタウロスを倒し、意気揚々と帰ってきた英雄テセウスは人々に歓喜の中で迎えられました。そして、テセウスの乗っていた船は大切に保存されることになります。

ところが、荒波を乗り越えた木造の船はあちこち傷だらけ。やむを得ず船底の板や帆などを取り替えました。部品交換です。ところが、ここである老人がおかしなことを言いました…

「おいおい、板を変えちまったら、元の船じゃなくなってしまうぞ!」

ん?

人々は「何を言っているんだ?」という反応で、老人の言葉に耳を貸しません。

それもそうでしょう。傷んだ部品を交換するのは当たり前のことで、それで元々の物と変わってしまうなんてことは考えられないでしょう。

月日は過ぎ、テセウスの船についても、最初に取り替えたところ以外についても傷みが出てきてしまい、そのたびに部品交換を繰り返します。おかげで船はきれいなまま保存されていました。

そうしているうちに、また、別の男がこんなことを言いだしました。

「あれ、この船ってテセウス様が乗っていた時の板って1枚も残ってなくね?」

誰もが絶句しました。

確かに、最初のうちは傷んでいた一部を交換しただけ。例えば100枚ある舟板のうち3枚を交換したとしても、誰も気にも留めないでしょう。

ところが、修理が進むにつれ、100枚の舟板のうちの30枚、50枚、80枚とどんどん交換する部分が増え、ついには全ての部分が交換され、もともとのモノが1枚も残っていないとしたら…その船は元の船と呼べるのか?

これには、誰からも「こうだ!」という答えが語られることはありませんでした…

テセウスの船の問題についての哲学者たちはどう考えたか?

この問題について、考え方としてはいろいろとあるでしょう。主要な2つの考え方についてみてみます。

考え方1  ~部分を変えると全体が変わる~

まずは、「部分を変えると全体が変わる」という考え方についてみていきます。テセウスの船の話に即して言えば、「舟板を変えてしまったのだから、厳密にはもう元の船と一緒だとは言えないよね」という考え方です。

この考え方だと、「どの時点で変わったのか」という新たな疑問が出てくることになります。そして、これもかなり難問です。

100枚のうち、80枚交換した時点だと「かなり違う」、50枚交換した時点だと「まぁまぁ違う」、では3枚だとどうでしょう。「ちょっとだけ違う?」という言い方ができるかもしれません。ですが、どれも主観的な見方によるものであり、誰もが納得する答えとは程遠いと言わざるを得ません。

ちょっと身近な例を挙げると、学生時代にお互い貧乏学生だった友人が、数年後再開しご飯を食べに行った時など、一人は以前のまま、店で一番安い「Aランチプレート」を注文したのに、もう一人は全く迷わずに「さいころステーキセット、デザート付きで!」などと頼もうものなら、Aランチの彼は

「おい!お前いつの間にそんなエラそうなものを食べるようになったんだ!変わっちまったな!」

なんて思うかもしれません。でも、さいころステーキ君は、まさか自分が変わったとは思っていないことでしょう。(どこが身近だ)

この考え方は、主観的には納得しやすいかもしれませんが、皆が納得できる客観的な基準とはなり得ないと言えます。

考え方2 ~部分を変えても全体は変わらない~

次に、部分を変えても全体は変わらないという考え方についてみていきます。

この考え方だと、変化の量が少ないうちは納得しやすいでしょう。ただ、全ての部分が入れ替わっても「元のものと一緒だ!」と言い切るのはかなりムリがありそうです。

ですが、実際には私たちは実は多くこの考え方を受け入れていることもあります。

例えば、私たちの身体について考えればどうでしょうか。

私たちの血液や細胞は日々新陳代謝によって入れ替わっています。骨や心臓も数か月で細胞が入れ替わると言われています。脳など一部の細胞を除き、私たちの体の細胞は、生まれた時のものは既に不用品として体外に捨てられており、同じものはほとんど残っていないのです。

それでは、私たちは生まれたばかりの赤ちゃんの時とはことなる人間になってしまったのでしょうか。細胞など一部に注目すれば、「もう、私は赤ちゃんのときの私ではないのよ!」と言うかもしれませんが、普通の日常生活を送っている間は、自分が入れ替わっているという実感はほとんどないのではないでしょうか。

あるいは、こんな例はどうでしょう。

江戸時代にある人が和菓子の店を創業したとします。創業者や番頭の働きにより、この和菓子屋は順調に成長していきました。年を重ねた創業者は、後進に事業を託し、自らは隠居を楽しみながら、幸せな生涯を終えました。

この和菓子屋はその後も成長し続け、江戸時代から明治に移るころには洋菓子にも事業を広げました。その後戦争もありましたが、辛くもやり過ごし、昭和、平成と時代を乗り越え、事業もお菓子だけでなく、サプリメントや健康食品に手を伸ばし、急速に拡大していきました。

ついに21世紀になり、令和に入るころには、ネットビジネスを展開し、主な事業はITソリューションやアプリ開発がメインとなり、本社の場所も、創業当時の江戸城の近くから、アメリカのシリコンバレーに移しており、外資も取り入れ、経営人の日本人比率はほぼ10日%となっていました。

少し極端な話ですが、もし、創業者が天国からこの会社の様子を見たときに、果たして「自分の創業した和菓子の店」と同じだと思うでしょうか。

思うかもしれないし、思わないかもしれない。また、どのあたりで「変わった」と感じるかはかなり違うと思います。

パラドックスとは?

このように、どのように考えても解決が見つからない問題を哲学の世界では「パラドックス」あるいは日本語で「逆説」と呼びます。パラドックスは古代ギリシャ以降、様々な難問が考え出され、多くの哲学者たちが解決を挑みましたが、満足のいく答えは見つかっていません。

「テセウスの船」はこのようなパラドックスの一つなのです。

ところで、ここまで読んで、パラドックスなんてなんの役に立つのかと思っている人もいるのではないでしょうか。

「解決できる問題なら考えてみたいけど、どうせ答えなんか出ないんだろ!意味ないじゃん」

確かに、パラドックスはどう考えても解決できない問題です。逆に、解決できてしまうならパラドックスではありません。解決できないからパラドックスなのです。

パラドックスを考えることのメリット 3つ

そして、このような問題を考えることには、実は大きな意味があります。それは、

1、物事の本質を見る練習になる

2、思考の持久力がつく

3、広い視野を持つことができる。

ということが言えます。

それ以外にも、こうした問題を考えることは知的パズルを解くという感覚で、純粋に楽しいということもあります。正直、私自身は、この楽しさこそ第一です。まぁ、これについては人それぞれだと言えるでしょう。

まとめ

現在放送中のドラマ「テセウスの船」というタイトルには、実は古代ギリシャから哲学者を悩ませてきた深い難問が潜んでいる、という話をしてきました。

ドラマをみていると、この難問を思い起こさせる場面がチラホラと出てきます。この言葉を知っているかどうかで、ドラマの楽しさを深く味わうこともできます。

また、「テセウスの船」のようなパラドックスに触れることは、思考の力を鍛えるのにはうってつけです。

「テセウスの船」問題とぜひ楽しく格闘してみてください。

新型コロナウィルスを彷彿とさせる カミュ著『ペスト』のリアリティ

テレビやネットニュースでは、連日新型コロナウィルスの話題ばかり。3月11日、ついに「WHO(世界保健機関)」がパンデミックの宣言を出しました。

2009年のSARS(サーズ)を超える、感染者や死者数に「こんなことがあるのか!」と驚く人も多いでしょう。

しかし、このような状況を予想しているかのような小説が、数十年前に既に発表されていました。

それこそがノーベル文学賞を受賞した作家カミュの代表作の一つである『ペスト』です。

実はこの小説、新型コロナウィルスの蔓延を受けて、大幅に売れ行きを伸ばしているとか。

https://toyokeizai.net/articles/-/335178?page=2

(引用記事 「コロナ騒動で激売れする小説「ペスト」の中身)

今回は、この『ペスト』について解説をしていきたいと思います。


「ペスト」で描かれるパンデミックの恐怖

カミュの『ペスト』とはどのような物語でしょうか。テーマとなっている伝染病ペストについても簡単に解説しつつ、あらすじを見ていきましょう。(少しネタバレがありますので、未読の方は注意してください)

ペストとは?人類史上最悪の恐ろしい伝染病

ペストとは別名「黒死病」とも言い、非常に感染力が強く、致死率も高い伝染病です。発症すると、内出血により皮膚が黒く変色することからこの名がつきました。感染者の多くは、高熱や肺炎となり苦しみのうちに亡くなっていきます。

地球の歴史上、何度か大流行が発生していますが、14世紀から15世紀にかけてヨーロッパで発生したものは、約1億人が死亡し、壊滅した町や村もあるほど。イギリスやイタリアなど人口の半数以上が亡くなった国もありました。致死率も60%から90%とも言われており、人類史上最悪の病気の一つであると言えます。

現代では医療の発展により、多くは治療や蔓延防止に成功していますが、世界では少数ながら未だこの病気による死者も出続けています。

小説『ペスト』と現在のコロナウィルスパンデミックの一致

さて、このような恐ろしい病であるペスト。この病に脅かされている社会が抱える恐怖は想像に難くないでしょう。

この物語の舞台は1940年代のアルジェリアにあるオランという港町です。現代日本に生活する私たちとは、時代も地域も、恐らく文化や考え方も大きく違っていることでしょう。

しかし、このペストに侵されているオランの町と、「新型コロナウィルス」の脅威にさらされている現在の日本の私たちの間には、これでもか!という程の共通が見て取れるのです。

ここでは小説『ペスト』の描かれているオランの町と、現在の私たちが直面している状況の驚くべき一致を挙げていきます。

人々の疑心暗鬼

オランの町の人々は、隣人、職場の同僚が次々と病に倒れ亡くなっていく様子にうろたえ、いつ自分や家族がペストにかかるのかと疑心暗鬼になっていきます。そして、近所に医者が往診に来たり、救急車のサイレンが聞こえたりするだけで、それが事実がどうかを別にして、ペストが発生したと思い込むようになっていきます。

今の私たちも、連日の報道で、自分自身の住む自治体に感染者が出ているのかどうか、大きな関心ごとになってしまっています。〇〇県や〇〇市でコロナ患者が発生したという報道が流れると、時を置かずして、感染者の特定をしようと情報が飛び交っているようです。

また、この騒動の間の一時期、日本中でトイレットペーパーが売り切れ手に入らないという事態が起こりました。どうやら、紙が不足するだろうという憶測めいた情報が独り歩きし、多くの人が無批判に信じてしまった結果のようです。トイレットペーパーの品薄という事態は早々に収まりましたが、些細な情報に翻弄され、社会的に大きな不具合が生じるという結果は、カミュの描く不条理そのものに思えてなりません。

政府や担当部署の後手後手の対応

オランの町では、ペストの兆候をつかんだ医師は「二か月以内に全市民の半数が死滅させられる危険があります」(カミュ『ペスト』p73 宮崎嶺雄訳 新潮文庫)と行政当局に訴えます。しかし、当局は対応に消極的で、医師の危惧に対しのらりくらりとはぐらかすのみ。ペストである確実な証拠がないことから、対処に二の足を踏んでいるようです。

今回の新型コロナウィルスについても、物語のような状況と非常に近しい印象をぬぐえません。なるほど、確かに、行政当局が動けば経済や人々の気持ちに影響を与えるでしょう。そして、当局がそのことを警戒するのも理解できないわけではありません。

しかし、現実に多くの人が亡くなり、感染も収束どころかますます拡大の勢いを強めています(2020年3月15日現在)。

行政側の消極的な対応は「事なかれ主義」とも言えるかもしれません。あるいは、担当者が責任を取りたくないがために「判断をしない」ということのようにも思えます。(このことは日本にも当てはまりますが、中国ではより深刻なようにも思います)

行政側にも事情や言い分はあるでしょう。しかし、判断や対応の遅れが感染や死者数の拡大につながってしまったという点は事実として受け止めなければならないでしょう。

カミュの描いた不条理

この物語の中で、カミュは多くの不条理を描いています。カミュが描いた不条理について、いくつか取り上げて見ていきたいと思います。

危機的な状況の中で、喜ぶ人

ペストの蔓延とともに街も人々も疲弊し、悲しみに包まれていく中で、まるで場違いに喜んでいる人物が一人だけいました。ペストの発生直前に自殺未遂をした犯罪者のコタールです。

コタールは自分の犯した犯罪によって追われており、逮捕が間近に迫った恐怖から自殺を図りますが失敗します。しかし、その直後にペストが広まり、町は混乱して行く中、誰もコタールの逮捕など気にも留めなくなるのです。彼にとっては、まさに僥倖と言えるものでしょう。

このようにカミュの物語は、救いのない不幸な状況の中で、その不幸な状況ゆえに喜ぶ者の存在を見逃しません。どのような過酷な状況でも、それを喜ぶ者が居る。どのような幸せな状況でも、それに苦しむ者が居る。

ここにカミュ一流の洞察があり、それが物語の奥深さ、リアリティを作り上げているのではないでしょうか。

善なる者が救われない(ネタバレあり)

この物語において重要な人物の一人に、最初にペストに気づいた医師のリウーがいます。彼の妻は結核のためペストの舞台となるオランを遠く離れたパリで療養するのですが、そのためにペストを避けることができました。

しかし、事態が収まりオランの町に日常が戻ってくるときにおいて、妻は結核で亡くなってしまいます。

私は、この物語において、ここに最大の不条理を感じました。

医師の妻でありながら、結核を患うという不条理。

結核のため、夫婦が離ればなれになりながら、そのためにペストの危機を回避できたという不条理。

ペストの危機が去りながら、結局は結核に倒れるという不条理。

なんとも救われない物語ですが、人が生きていくという現実を突き詰めるとこう言うことになってしまうのかも知れません。

だけど、やっぱりカミュを読んでよかった!

カミュの『ペスト』は不条理や不幸のオンパレードで、本当に救われない話だとは思います。

しかし、私自身は、この本を読んで本当に良かった!と思っています。

まず、人生の不幸や不条理について免疫がつきました。人生が順風満帆で、一点の陰りもなく進んでいくのであれば、このような物語は全く必要ないでしょう。

しかし、実際の人生は良くて山あり谷あり。むしろ辛いとき、しんどいときの方が多いかもしれません。

このような人生の谷の時に、不条理や不幸を読書により経験することで、自分自身や状況を客観視することができます。それにより、辛さがいくらか軽くなったり、良い意味で諦めがつき、前向きになれたりすることが多くあったと思います。

今、私たちは「新型コロナウィルス」に直面し、医療や健康面の不安、仕事や経済面の不安、マスク不足の不安や将来に対する漠然とした不安を、大なり小なり抱えているのではないでしょうか。

このようなときに、カミュの『ペスト』を読み、世の中の様々な不条理に触れておくことは、精神的な耐性を高めるワクチンとしても、あるいは、時宜に応じた読書としても大変おススメだと思います。

読書初心者こそ大事! 本選びは出版社でこんなに分かる!

「さて、今日は本でも買おうかな」と書店に来てはみたものの、たくさんうちのどの本を手に取るか、書棚の前で迷ってしまうこともあると思います。

ベストセラーやおススメ本コーナーも見たけれど、「うーん、何か違うなあ」と悩んでいるうちに、最初のテンションはどこへやら…

結局手ぶらで帰ってしまったり、それほど欲しいとも思わない本を、ムリして買って結局読まないなんてもっと残念ですよね。

何より、きちんと1冊読み通すためには、

「自分に本当に合った本を選ぶこと」

これが何より大切なのです。

そのために、意外と見落としがちなのが実は出版社。

出版社によって本の難しいか易しいか、硬いかやわらかめかなど、かなりハッキリとわかるんです。

本選びでこれを利用しない手はありません。

特に「あの作家の新作が出た!〇〇を買いに行く!」といった、明確な目的があれば別ですが、

「新しい仕事を任されたから、何か役に立つ本はないかな」

とか

「いままで、経済のことをきちんと勉強してこなかったな…ここらで勉強してみるか!いい入門書を探してみよう」

といった場合など、出版社の情報は大いに役に立ってくれるでしょう。

ここからは、それぞれの出版社を紹介しつつ、どんな特徴があるのかを見ていきます。

日本の出版社は3000社もある!?

日本に出版社はどれくらいあるか知っていますか?実は2019年時において、約3000社あると言われています。

この中には、「講談社」「集英社」という超大手出版社から、年間で本を数冊しか発刊しない小さなものまで様々です。

ちなみに2000年時には約4500社もあったので、ここ20年で3分の2に減ったんですね。出版不況の影響でしょうが、例えて言うなら「45人学級が30人に減っちゃった」ほどの減少ぶり。本に親しんできた者からすればさみしい限りです…

これらの出版社の中から、「読書初心者が本を選ぶときにヒントになる出版社選び」という点から、いくつか紹介していきます。

大手出版社は万人受けだがパンチが弱い!?

国内で最大手の自動車メーカーと言えば「トヨタ」です。では、一番大きな出版社はどこでしょうか?

それは「講談社」です。

ただ、2000年代中頃から、大手出版社の「小学館」や「集英社」に売り上げで抜かれることもあり、実質は「講談社」「小学館」「集英社」の3社が三つ巴で最大手と言えるようです。

さて、これらの大手出版社の特徴は「とにかくジャンルや種類が豊富でソツがない」というところ。得意分野は?と聞かれたら「え、全ての本だよ」とあっけらかんと答えてくれそうな感じです。

「何でも来い!」といった万能選手ですね。当然ベストセラーや人気本も多く、ハズレがないという長所があります。

ただ、万人受けする本が「あなたに刺さるかは別の話」

きっと音楽や映画なども同じかもしれませんが、「大ヒットしてたけど、そこまで良くなかったんだよねー」ってことが誰にでもあると思います。

「何でもいいから無難な本が欲しい」という場合には良いでしょうが、買う前に必ず少しでも本文に目を通してからレジへ行くようにしましょう。

読書初心者におすすめのサンクチュアリ出版

読書が苦手という方に、実は超絶おススメの出版社があります。

その名もサンクチュアリ出版」

ここは「本を読まない人のための出版社」と自ら名乗っているほど、

本当に読書初心者に寄り添った、読みやすくておもしろくて為になる本をホントにたくさんたくさ~ん出しています。

また、1月に1冊しか本を出さないと決めているそうです。そのため、私も何冊か読みましたが、1冊1冊がとても丁寧に作られている印象を受けました。

おそらく、あまり大きくない出版社だと思います。発行している本もそれほど多くなく、読書家のなかでも知らない人の方が多いでしょう。

また、ここから本を出している著者をみると、「経験豊富な有名作家」というより「駆け出しの野心家」というタイプが多いようです。

私自身、年間で200~300冊は読んでいる本の虫ですが、ここから出ている本はかなりの割合で目を通しています。そして、何度も繰り返して読める本も多く、いろいろなジャンルでおススメ本として勧められるものもたくさんあります。

「心に刺さる」本に出合える確率がとても高い出版社です。

サンクチュアリ出版のおススメ本は?

この出版社から出ているもので、私の特におススメを2冊ほど紹介したいと思います。

一つは樺沢紫苑(かばさわ しおん)先生の「アウトプット大全」

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

学びを結果に変えるアウトプット大全 [ 樺沢 紫苑 ]
価格:1595円(税込、送料無料) (2020/3/14時点)

現役の精神科医の書いた本で、心理学や脳科学といった専門の立場から、「ビジネスに役に立つ勉強の仕方」について、最新で確実な方法を、あり得ないくらい分かりやすく伝えてくれています。

ハッキリ言って、全てのビジネスパーソン、いや全ての人におススメしたい本です!

ちなみにこの先生は、「アウトプット大全」と姉妹本の「インプット大全」も出されており、こちらも大変おススメです。

また、youtube動画でも心理学の解説をされており、再生回数が10万回を超えるものも多いようです。

2冊目はさくら剛(さくら ごう)先生の「三国志男」

この方は、もと芸人(聞いたことない!?)で、その後ニートをしつつ、貯金を切り崩し、世界各地でかなりキワドイ旅を続けてきたという、かなりクセモノの作家さんです。

この作品「三国志男」は、さくら先生が、三国志へのあこがれがあふれ出すあまり、お金もないまま中国を放浪するという旅行記です。

なんですが・・・

もう、とにかく笑える!

正直、活字の本を読んで、笑いで涙が出るという経験は、あとにも先にも「三国志男」だけです。

表紙のインパクトもありますが、1,2ページあたりの初っ端から「お、なんだなんだ!」と引き込まれ、その後も怒涛の爆笑体験記が続き、1時間もかからず、本当に休む間もなく最後まで読み通してしまいました。

そして、読み終わった後は「えー、もう終わり?」と一気に読んでしまったことを後悔しまうほど。

私自身、本との出会いは人の出会いと同じで、「合う、合わない」ということもとても多く、「すべての人に合う本などない」という考え方をもっています。

が、この本だけは「読書が苦手」「本を1冊読み通すのに苦労する」という全ての人に、ぜひ1度は手に取ってもらいたい本です。

以上、サンクチュアリ出版からの本を2冊ほど紹介しました。

最初の「アウトプット大全 樺沢紫苑著」はとても分かりやすくて為になる本。

2冊目の「三国志男 さくら剛著」は、とにかく笑えて、あっという間に読める本。

この2冊は、だまされたと思って買ってみる価値、大いにアリ!です。

ビジネスや自己啓発、心の持ち方など出版社別の得意分野

出版社には大きい小さいという区別の他、得意分野もあります。

まさに「モチはモチ屋」と言うところでしょう。

ここでは、分野別におススメの出版社を紹介します。

ビジネス書はダイヤモンド社

ビジネスパーソンや経営者の方は、仕事の必要に応じていろいろな本を読まなければならないことも多いでしょう。

組織のこと、企画やプレゼン、時間管理、交渉や説得などあらゆる職種や業種の人に必要な知識も、読書は本当に助けになります。

こういったビジネス書としてまずおススメしたい出版社は「ダイヤモンド社

雑誌「週刊ダイヤモンド」などでご存じの方も多いでしょう。

ここの本は、ビジネス書の種類が豊富。いろいろな種類の本が、本当にたくさんあって、仕事に関する全ての場面をカバーしているのではないでしょうか。

ビジネス関係の本なら、まずはダイヤモンド社をあたってみましょう。きっと、あなたに合う1冊が見つかるはずです。

PHPはあなたの調子を整えてくれる

最近は何かにつけてストレスが多い社会ですよね。お金のこと、人間関係のこと、忙しすぎて時間がない!など、普通に生きていくだけでも結構大変な気がします。

そういったときに、心の持ち方を教えてくれる本もたくさんあり、そのような本を多く扱っているのが「PHP研究所」です。

ここの本は、難しい理論を説明することなく、生活の中で「この問題はここが原因なんですよ」「このようにしたら、うまくいきます」といった、読者目線で疑問や悩みに答えてくれるタイプが多いです。また、経験談も豊富で、いろいろな人の意見が気になるというときにも、役に立つ本が多いようです。

お堅いお堅い岩波書店

岩波書店」というのは、読書家の間では一つのブランドになっています。それも、かなりお堅い、「ははーっ」とおそれ敬う(言い過ぎ?)ような印象です。

学生さんなんかだと、この書店名を聞く機会が多いかも知れません。大学の授業では1冊を1年かけて講義されたり、レポートをまとめる宿題が出たり。

学者や有名な評論家などが書いたものが多く、ハッキリ言って玄人向き。「シロウト」がうかつに手を出すとエライ目に合います。逆に、「頑張って読む覚悟はある!本当のところを深く知りたい!」という方には、この出版社しかない、というほど確実な本です。

また、「岩波書店」のブランドの1つに「岩波文庫」というのがあり、これは歴史上の有名な古典が収められています。ルソーの「社会契約論」とか、アインシュタインの「相対性理論」とか、歴史の授業で覚えさせられたような本ばかりです。

もし、たまたま見つけて「お、面白そうだ♪」と思った本が「岩波書店」だったら、レジに行く前にしっかり中身をみてからにしましょう。

ただし、中身の濃さは超一流です。1冊読めば一生自慢できる内容だとも言えます。

「〇〇社学術文庫」や「〇〇大学出版会」「中公出版社」なども、「岩波書店」と同様注意が必要です。でも、一生に一度は挑戦してみては!?

まとめ

たくさんある出版社は見れば見るほど、どれも個性的。得意分野が違ったり、クセがあったり。ちょっとした情報でも知っておくと、本を選ぶ際のヒントになってくれますよ!

読書に慣れてくると、きっとお気に入りの出版社も出てきます。

「◯◯出版は、最近チャレンジしてるよね〜」なんて言えるようになると、読書かとしてカッコいいですね。

哲学の大型ホープ「弁証法」は、今日から思考の技術としてイチオシ

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弁証法はビジネスや日常の多くの問題を解決してくれる!

今回のテーマは哲学の大型ホープ弁証法についてです!

問題解決やけんかの仲直りには弁証法が一番!ということは、哲学の世界だけではなく、ビジネスや日常生活の中でも割とよく聞かれるようになりました。

この「弁証法」という言葉はビジネス書やニュースなどでも時々出てくるので、聞いたことのある人は多いと思います。少し古いですが、豊洲築地の移転問題で沸く2017年に、あの小池百合子東京都知事が記者会見で「これまでの議論をアウフヘーベンして・・・」なんて弁証法のややこしい言葉をあえて使い、国民を煙に巻く(?)という場面があったりしました。

 ちなみに、小池都知事が「アウフヘーベン」という言葉を使ったことは、「は?何言ってんの?」的な批判があちこちから上がったようです。ただ、この言葉の意味がちょっとわかっていると、「あー、都知事の言おうとする意味はわかるけど、この場面で言うべきじゃないよね~」
とか
「んー、みんな意味が分からないって批判してるから、アタシが上から目線で解説してあげちゃおうかしら、フフッ」
なんてことも出来ちゃうわけなんです。

 

 というわけで、これから、ややこしい弁証法という考え方について大胆かつザックリと書いてみようと思います。

弁証法を理解する必殺技 「カレーうどん」!?

 「弁証法」とは何か。一言で言うと弁証法とはカレーうどんである」。いきなり何を言い出すか!といった感じですが、このことを理解するためにこんな場面を想像してみました。

 

 初デートのAクンとBサン。2人で何か食べに行こうということになった。Aクンは「ボクはカレーが食べたいな」と言う。でもBさんはなんと「アタシはうどんがいいワ」と思っている。絶体絶命である。

 このようなとき、Aクンの立場としては「泣く泣くカレーをあきらめ、Bさんのうどんに付き合う」か、あるいは、「おれはうどんは食わねぇんだ」とムリヤリにココチに行き、Bサンから「あのときあなたはコイチに強引に連れて行って、うどんを食べさせてくれなかったワネ」と結婚後も恨まれ続けるかどちらかだろう。

 

 これは、まさに弁証法を知らなかったがゆえの悲劇だと言えます。

 

 ここまで読むともうおわかりでしょう。そう、まさに弁証法とはカレーうどん」とはまさにこのことなんです

 

 AクンBサンがお互い自分の意見に固執するのではなく、「カレーもうどんも」という答えに至る道、それが「弁証法」なのです。

これは「自分の意見も相手の意見も大事にし、両方を踏まえた上で解決を考える」という考え方ですね。

 

 もう少し詳しく見ていきましょう。

 

 「カレーを食べたい」という意見と、これとは矛盾する「うどんがいい」という意見の2つがあります。この2つをともに大事にすることで「じゃぁカレーうどんにしよう!」という答えにたどり着きます。

 弁証法を図にするとこんな感じ

これを図にするとこんな感じですね。

 

弁証法の図はカレーうどんで覚える!

 

カレーうどん

カレー →→→ (矛盾)←←←うどん

 

 

 いかがでしょうか。「弁証法」というものの概略はこれだけでOKです!

ここまでで、物足りないと思われた方のために少しだけ専門的な説明をすると、

 

ある一つの考えが提示され(これを「正(せい)という」これに矛盾あるいは対立するもう一つの別の考え(これを「反(はん)という」が表明される。この「正」と「反」の二つを統合し、より高い次元の答(これを「合」(ごう)という)を導き出す。これが「弁証法」の考え方です。

 

 これをさらに図にしてみると、

 

弁証法をちゃんとした図で理解する!

 

→→→ (矛盾)←←←

 

上にある「うどんの図」と同じですね。

 

さらに、上で書いた二つを統合し、より高い次元の答えに向かう動きのことを止揚(しよう)または揚棄(ようき)」と言います。ドイツ語でアウフヘーベンです。このテーマの最初の方で書いた小池都知事の「アウフヘーベンして・・・」というのは、実はこのことを指しているんですね。

 

 正と反を止揚して合に至るというのが弁証法という考え方の「型」です。

 

また、

 

対立がありつつも、自分を押し通すのでもなく、かといって相手に屈服するのでもなく、両者を活かしつつより望しい結論を目指すという考え方の「心構え」

 

とも言えます。

 

こうした考え方は、実はとても応用範囲も広いんです。カレー対うどんの対立以外にも、「リビングでは大きい音で音楽を楽しみたい!」夫と、「読書してるんだから静かにしてよね」という妻が居れば、「じゃぁヘッドホンでもつけようか」という解決もありますね。また、「そこの平野はうちの国の領土だ!オマエの国は入ってくるな」という国と「バカを言うな。ここはうちの国だ、トットと出て行け」という国同士の対立なんかでも、「じゃあ、ケンカにならないように、お互いから何人か管理者を出して、国連の指揮の下で治めよう」なんて解決が生まれます。

弁証法は、身近なゴタゴタから、国際問題まで実に応用範囲は広い。二千年以上の学究により鍛えられた

 哲学の大型ホープ弁証法」は、今日から思考の技術としてイチオシです。

 

髪の毛○○本になるとハゲ? 古代ギリシャのハゲ頭 今は昔の物語

今は昔の物語


 あるところにフサフサのおっさんがおったそうな。おっさんの髪の毛を数えるとちょうど10000本あったそうな。さて、おっさんの髪の毛を抜いてハゲにしようというゲームが唐突にも始まってしまった。1ターン目、1本抜くと残り9999本でまだフサフサ。2ターン目、もう1本抜くと残り9998本でまだフサフサ。3ターン目もう1本抜くと、残り9997本でまだフサフサ。ゲームは4ターン、5ターンとゆっくりと、そして確実に進んでいった・・・

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・・・そして9999ターン目、もう1本抜くと残り一本でまだフサフサ、あれ?



 いきなり不思議な話をしてしまい、読者のみなさんゴメンナサイ。これは紀元前、古代ギリシャの哲学者エウブリデスが考え出し、そして現在も解決されていない哲学的難問「ハゲ頭のパラドックスをこのブログの管理人であるボクがパロディにしたものだ。

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 バカバカしいないようだが「ハゲ頭のパラドックスを少しでも感じてもらえるように、本質をはずさずにアレンジしている(つもりである)。

 お察しのとおり、このパラドックスのポイントは「ハゲとフサフサは明らかに違うのに、1本ずつ抜いていったらどこで区別したらいいのかわからないじゃん!」ということに尽きる。

 もちろん、「9000本になると少しさびしい」とか「7000本だとかなりやばい」とか、5000本になるなら死んだ方がいいよネ!」とか、人によって目安や基準、感じ方はそれぞれあるだろうが、フサフサ」と「ハゲ」の明確な区別はできないのである。

 実は、このパラドックスは、少し広くとらえると、ボクらの身近な至るところに転がっている。

     



   例えば、

     「何才から大人になるのか」
     「どれだけ勉強すれば頭が良いのか」
     「何をどれだけ持っていると裕福なのか」

といったように、普通に生活をしている日常においてヒョコヒョコと顔を出し、ときにはボクらを悩ましたり、明確な区別」を求めてきたりする。

 さらに、忘れてはならないのは、この「明確な区別」不条理な形になって現れることもよくある、ということだ。

 「オレ、明日ハタチの誕生日だから、まだ19才の今日のうちにオマエをコロシてやるぜ、ウケケ」とか「あなたの試験の得点ですか。697点ですね。あー、698点あれば東大合格だったのに残念です、ニヒヒ」なんてことが現代社会では時々起こったりする。(ちょっと極端か!?)

 世の中、白黒ではっきり割り切れるものは、実はそれほど多くはないのかもしれない。実際に存在するのは「ちょっと黒いグレー」「ほとんど真っ白なグレー」といった、言わば、豊かなグラデーションだろう。
 ただし!そこに、社会運営上の必要から、無理矢理にメスを入れ、(実際にはありもしない架空の)白とか黒に分けてしまう。その結果、グレーの豊かなグラデーションは見失われ、多くの不条理を生み出してしまう。
 上で例示した、東大の入試に1点たらずで落ちた人は、合格者の能力や努力とそれほど変わらないだろう。

 こうした不条理は、発展した社会では避けることのできない必要悪とも言える。だが、不条理に隠れた豊かなグラデーションを時々思い起こすことで、モノゴトの本当の姿が見えてくることもあるのではないだろうか。

 ハゲたフサフサのおっさんが、本当の姿を見せてくれるのである。

コペルニクス的転回

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コペルニクス的転回」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 コペルニクスとは、今から500年ほど前、地球が太陽の周りを回っているという、今では当たり前だが当時としては画期的な「地動説」を広めた人物である。

 それまでは地球が宇宙の中心だと信じられていた。しかし、コペルニクスが地動説を発表したことで、「地球は太陽の周りを回っているに過ぎない」とこれまでの宇宙観が180度変わってしまった。このようにものの見方や考え方が革命的に変わることをコペルニクス的転回」という。

 この言葉は「普通のことばかり考えてちゃダメだよ。発想の転換が大事ダネ!」というようなニュアンスで、よくビジネス書などで見かけることも多い。また、身近な会話で「A男のヤツ、女好きが行き過ぎて、ついに性転換して自分が女になったんだって」「へー!コペルニクス的転回だね」なんて使い方もあるだろう。ただ、この言葉は19世紀のドイツの大哲学者カントによる「認識論の大転換」がオリジナルのようだ。

 

 認識とはざっくり言えば、物の見方や考え方のことで、カントは従来のものの見方をドドーンと180度変えてしまったのだ。かつてコペルニクスが宇宙観を変えてしまったように。

 

 ところで、「リンゴ」を見たことはあるだろうか。「ふんふん、あの丸くて赤いやつね。と思った人にまたまた質問。なぜリンゴは赤いのだろう。

 「はぁ?リンゴは赤いから赤いんちゃうけ。アホか!」もし、あなたがこう答えたとしたら、あなたはカント先生に叱られてしまうかもしれない。

 

 カントによれば、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」のである。リンゴの例で言えば「リンゴが赤く見えるのは、リンゴが赤いのではない。オヌシが赤く見ているだけなのじゃ」ということであるらしい。

 カントの言っていることは、常識から外れた、いかにも哲学者が言い出しそうな意味不明のヘリクツに聞こえる。しかし、実はこのことを否定するのはとても難しい。

 リンゴは赤いと言うが、例えば目にある種の障害のある人には赤く見えない。「でも障害のない人には赤く見えるじゃん」って言われそうだが、もし、目に障害のある人ばかりだと赤いリンゴなど有り得ない、ということになる。また、地球人には赤く見えたとしても、地球人よりはるかに優れた目をもつ宇宙人なら、赤なんてものではなくもっと複雑な色に見えるかもしれない。そもそも、色とは物理的には電磁波の波長の長さのことで、波長がある長さの時に人間の大多数にはたまたま赤く見えて、また波長が別の長さの時には青く見えるということに過ぎないのだ。

 

 つまり「リンゴが赤いということは絶対確実な真実ではなく、見る側の都合による現象の1つに過ぎない」ということなのである。

 

 「ふーん、そんなもんかー」と半信半疑といったところだろうか。しかし、このことは現在では多くの哲学者や科学者が一つの真実として受け入れている。

 さらに、このカントの「認識の大転換」は多くの分野で息づいている。例えば、普通ボクらは誰かが涙を流しているのを見たときに、「何か悲しいことがあったから泣いているんだろう」と思いがちだ。しかし、心理学によれば「泣くから悲しい」ということが明らかになっている。

 

 このような考え方の大転換をもたらした西洋の偉大な哲学者カントだが、実は東洋ではカントより数千年前も早くこのことに気づいていた人物がいた。この話はまた別の機会に。